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周辺観光スポットのご紹介
玄奘寺
日月村に沿って環湖公路を西に向かって進み続けると、約4.8キロメートル先に玄奘寺があります。玄奘寺は唐代の建築様式を模したもので、碧い瓦と朱色の柱が特徴で、古風で質素ながらも、静かで清らかな環境と中国庭園の優雅な雰囲気があります。前方は日月潭に面し、青龍山に後ろ盾を持ち、地理的には「青龍戲珠」の宝地とされており、玄奘大師の舎利を最も適した場所で安置する場所とされています。玄奘法師文物紀念館は、2014年3月28日に一般公開されました。
慈恩塔
慈恩塔は1971年4月に建設され、海抜954メートルの沙巴蘭山(二龍山)の上に位置しています。この塔は、蔣介石前総統が母親である王太夫人を偲んで建てたものです。慈恩塔の高さは約46メートルで、建設当時はすべての建材が月潭を経由して船で運ばれ、さらに流籠を使用して沙巴蘭山へと運んだため、その過程は非常に困難なものでした。慈恩塔の頂点は海抜1000メートルに位置し、塔の最上階から拉魯島の方向を見ると、ちょうど拉魯島と玄奘寺が同じ軸線上に並んでいるのが見られます。これは「幸福の連線」と呼ばれおり、この地形はまるで龍の頭が湖に水を汲んでいるように伸びています。拉魯島が水を汲む場所に位置し、玄奘寺が龍の頭にあたる場所にあり、慈恩塔が龍の心臓部分に位置しており、非常に不思議な景観が見られます。
文武廟
日本統治時代、日月潭畔には元々2つのお寺がありました。1つは水社村の龍鳳宮、もう1つは卜吉村(現在の日月村)の益化堂でした。しかし、日本人による発電工事によって日月潭の水位が上昇し、両寺は移転を余儀なくされました。両寺の寺産は電力株式会社によって買い取られ、得られた資金で新たな寺を建設する場所を選びました。その結果、両寺は合併し、1934年に日月潭の北岸にある松柏崙に新たな寺を再建し、1938年に移転を完了させました。
1969年に文武廟は再建され、中国の北朝様式の建築として、大規模で堂々とした姿を持つお寺へと変貌しました。この寺は3つの殿から成り、前殿の2階には水雲宮があり、開基元祖や文昌帝君などが祀られています。中殿には武聖殿があり、関聖帝君や岳武穆王が祀られています。後殿には大成殿があり、そこには聖先師孔子などが祀られており、儒教、仏教、道教の諸神が一堂に共存しているお寺となっております。
文武廟の大成殿は全台湾で唯一、中門を開く孔廟です。お寺の関係者によると、文武廟は台湾屈指の絶景スポットである日月潭の湖畔に位置しており、多くの観光客が訪れるため、出入りの便宜上を中門を開くようになったということで、特に特別な意味などはないということです。大成殿には青銅で鋳造された孔子の坐像があり、台湾唯一の聖像が奉られている孔廟です。孔子の聖像以外にも、孟子や子思の神像もあります。これらの三つの神像はもともと中国本土にあったもので、清末の義和団の乱の影響で日本の狭山不動寺に流れ、その後複製されて文武廟に移されました。顏子と曾子の神像は後の世代によって資金を集めて造られ、孔子に随伴し、その両脇に配置されています。
文武廟を訪れると、広場の両側にある巨大な朱色の石獅が目を引きます。この石獅は、新光グループの創設者である吳火獅が寄贈したものであり、ここへ訪れる人々の注目を集めています。地元住民の皆さんはこの石獅を「吳火獅」と愛称で呼んでいます。文武廟は山を背にして、日月潭に面した位置にあり、壮大な地形と美しい景色を望むことができます。文武廟は近隣住民の信仰の中心であり、香火が盛んです。後殿の展望台からは、日月潭を遠く望むことができ、目の前に広がる広大な景色を望むと、まるで自分が世界を抱きしめているかのような気持ちになります。
(出典:日月潭観光トラベルサイト)
玄光寺
日中戦争が勃発した際、日本人は南京から玄奘法師の頂骨の舎利を持ち去りました。しかし、戦後にその一部を中華民国仏教協会に返還し、1955年にその頂骨の舎利を台湾に迎えて1958年には日月潭畔の玄光寺に安置しました。
玄光寺は日月潭からわずか10mほどの距離に位置しています。お寺の下には桟橋があり、訪れた人々は船で桟橋へと到着し、階段を上ってお寺を訪れます。お寺の内部には玄奘大師の金の仏像が祀られ、上部には「民族宗師」という匾額が掲げられています。玄奘大師の頂骨舎利は玄奘寺に移されましたが、水路の交通が便利なため、玄光寺は日月潭を訪れる観光客にとって必ず訪れるべき観光スポットとなっています。
玄光寺の建築は唐風であり、最初に仮の目的で玄奘法師の舎利を安置するために計画されたため、碧瓦や朱柱などに彩りが見られず、質素で清雅な印象を受けます。これにより古代の情緒を思わせる幽玄な雰囲気が漂い、さらに湖畔に建てられているため、日月潭の美しい水面を間近に楽しむことができ、まるで美しい絵の中にいるような気分になります。
お寺の前には、「日月潭」と「玄光寺」と刻まれた大きな石があり、こちらでは観光客の方がここに来たという思い出を残すために写真を撮る人気のスポットとなっております。特に休日には写真を撮るために小さな寺の庭に何周もの列をつくっている光景がよく見られます。これはこれで、また別の面白い光景となっています。
(出典:日月潭観光トラベルサイト)
向山行政及びツーリストセンター
2003年に台湾観光局が主催した「地景系列」プロジェクトにおいて、日月潭の山岳地域を対象として計画された競技作品が見事に受賞しました。こちらは、日月潭の湖水峡湾の地形を深く考慮し、建築物と自然環境を調和させ、ツーリストセンターと風景エリアの両方の機能を備えることを目指して計画が練られました。
九族文化村
九族文化村は、南投県魚池郷大林村に位置するテーマパークです。敷地面積は約62ヘクタールで、台湾屈指の絶景スポットである日月潭に隣接しているので日月潭や他の隣接する観光スポットと一緒にお楽しみいただけます。九族文化村ではショーや伝統的な歌や舞のパフォーマンスなど様々なイベントを楽しめ、まさに文化観光・レクリエーション・教育を結合させた多様性に満ちた観光スポットです。台湾先住民族文化を重要なテーマとしてた九族文化村では台湾先住民族についての理解を深められるほか、遊園地エリアでは最新のアトラクションなども楽しむことができ、一日中楽しむことができます!
拉魯島
拉魯島は、日月潭の中央に位置し、元はサオ族の祖霊の聖地でした。一時は大震災の影響で拉魯島は大きな被害を受けましたが、県政府は復興に努め、それをサオ族の文化や芸術と融合させてその輝きを再現しました。
日月潭に浮かぶこの小さな島は、光華島と呼ばれるようになった以前に、各時代や背景によって異なる呼び名が幾つもありました。例えば、日本の統治下にあった台湾で、日本人は「玉島」と呼んでいました。また、日月潭の湖畔に住む閩南民系の漢民族たちは「珠仔山」と呼び、清朝末期では西洋人が「pearl island」と呼びました。清朝の文献では「珠嶼」、「珠山」、「珠仔山」などの呼び方が見られ、珠か玉と呼ばれることに関係なく、全て山、嶼、島などが名前に付くのは形状と状況に基づいています。一方、日月潭の最初の住人であるサオ族は、「拉魯」という名前を使っており、これはサオ族の言葉で「真実で誤りがない」という意味の発音に類似しています。これは、拉魯島がサオ族の歴史の中で主要な存在であり、その高貴な地位を示しているのです。
拉魯島は現在でもその神聖性と象徴的な意義を保ち続けており、例えば台湾先住民族の一つであるサオ族の人々は、彼らの最高祖霊が拉魯島に住んでいると信じ続けています。伝統的な方法に従えば、「先生媽」(サオ族の伝統的な祭司の称号)になりたい女性は、経験豊かな先生媽に同行し、船で拉魯島に渡り、最高祖霊からの啓示を感じ取る必要があります。その後、神聖な許しを得た時に、初めて正式に先生媽としての修行が始まるとされています。